アナログ天文測定器(ファイラー・マイクロメーター)
はじめに
今回紹介するファイラー・マイクロメーターは、日本語では「糸線測微尺」と云い、主に、二重星の
角距離(注)や天体の視直径など微少な角度を測定する道具です。これは、メシエの時代に既に
存在し、特に、大屈折望遠鏡が全盛期だった時代にはストルーベなどの偉大な観測者が二重星の
測定に使用してきました。
(注)角距離:二重星の主星と伴星の距離を角度
で表したもの。例:白鳥座のアルビレオの
角距離=34.7秒角
近年は、二重星の角距離を測定するなどはマイナーすぎてファイラー・マイクロメーターという言葉
を知っている人は少ないのではないかと思われます。しかし、ファイラー・マイクロメーターには天体を
計測するという楽しみがあります。
1. 顕微鏡用ファイラー・マイクロメーター
ファイラー・マイクロメーターの説明がある日本語の本は、古い本ですが
小森幸正著「天体望遠鏡ハンドブック」
1965年 誠文堂新光社
くらいしかないようです。この本には、その入手について次のことが書かれています;
「天体用のファイラー・マイクロメーターはわが国では市販されていませんから、顕微鏡用のものを
利用し、簡易型のものとして使用することができますが、この場合は接眼鏡の外径は天体用接眼鏡
の外径にあわせる必要があります。」(P.163)
昭和44年の天文ガイド別冊「天体望遠鏡ガイド」を見ると、五藤光学の20cm据え付け型屈折赤道儀
のアクセサリーには「ポジションファイラーマイクロメーター」が付属していました(値段は20万円。
そもそも個人で買うようなものではないようです)。
→そこで、天体用の入手はあきらめてまず顕微鏡用のファイラー・マイクロメーターが付いたアイピース
を入手しました。
入手したファイラー・マイクロメーター・アイピースは、LOMO社製のEFM-16X Filar Micrometer
Eyepieceという物です。横に、マイクロメータのつまみがあります。上に固定されている黒いアイピース
は倍率16倍(顕微鏡用なので焦点距離ではなく倍率表現)です。
2. ファイラー・マイクロメーターの使い方
ファイラー・マイクロメーター・アイピースの視野を覗くと、図のように、数字が書いてある固定スケール
とマイクロメータと連動する細い線(L)が見えます。
この細い線をファイラー(糸線)と云います。目的の天体(例:二重星)の一方の星を固定スケールに
位置し(図のA星)、ファイラーLを移動させてもう?一方の星(図のB星)がちょうどL上に位置したときの
マイクロメータの値を読み取ります。この値に、マイクロメーターの1目盛と天空の角度との関係を示す
定数(糸線測微器定数)を掛けることにより、二重星の角距離が求められます。
3. 顕微鏡用ファイラー・マイクロメーターの改良
私が購入したLOMO社製のファイラー・マイクロメーター・アイピースは、顕微鏡用なので天体用として
使用するには望遠鏡との接続やスケールの照明という検討が必要でした。→具体的方法は省略します。
4.ファイラー・マイクロメーターによる天体の測定
■糸線測微器定数の決定
マイクロメータの目盛りと天空の角度との関係を示す定数(糸線測微器定数)を調べるために、
角距離が分かっている4つの二重星についてマイクロメータの1目盛当りの角度を求めました(下の表)。
尚、二重星の光度、角距離のデータは、Sissy Haas, Double stars for small telescopes .
Sky Publishing, Cambridge, MA, USA を使用。
→4つの平均を求めると、
1目盛りの角度=0.43秒/div
となります。
■天体の測定例
<木星の測定>
測定結果は、赤道方向=100divでした。また、南北赤道縞間=23divでした。糸線測微器定数0.43秒/div
を使って赤道方向視直径を求めると43.0秒となります。このときの木星の視直径予報は43.4秒なので
0.9%の差(アンダー)となりました。
<月のクレーターの測定>
上の図により月表面のサイズLを求めます。
ガッサンディの長径=143divでした。?地球表面から月表面までの距離は、
(383,458-6,378-1,738)=375,342km。
ここで、383,458kmは、測定日の03年3月14日の月の地心距離D(天文年鑑より)。
6,378kmは地球の半径,1,738kmは月の半径。これらからガッサンディの大きさを求めると375,342*
2*tan((PI()*143*0.43/(180*60*60))/2) =111.9km。
本でガッサンディの大きさを見ると112kmなので差は殆どありませんでした。
5.天文用のファイラー・マイクロメーター
天体用の本格的なものは、米国のVAN SLYKE ENGINEERINGで販売していました(2006年に購入)。
これは暗視野照明付きで位置角(注)も測定できて精度も非常によいものです。
下記のパーツから構成されています;
・マイクロメータ:ミツトヨ製(1/1000インチ/increments)
・暗視野照明装置:リゲルシステムのPlusGuide(black cylinder)
・25mmPlossl Eyepiece+2X Barlow Lens:メーカー名は特になし
(注)位置角:主星を中心として北から東回りに
伴星の位置を角度で示したもの。
尚、VAN SLYKE ENGINEERING社は、2013年のコロラドの山火事で設備が全焼し、ビジネス
をやめたようです。天文用のファイラーマイクロメータを作っていた会社はおそらく世界でここ
だけなので非常に残念です。
■天文用ファイラー・マイクロメーターの構成;
下のように位置角測定用のPosition Angle Circleの着いたファイラー・マイクロメーターを
「ポジション・ファイラー・マイクロメーター(位置糸線測微尺)」と言います。
6.簡易型の測定ツール
天文用のファイラー・マイクロメーターは入手困難です。それに代わる簡易型測定ツールとして、
メーカーにより名称が違いますが、
Astrometoric Eyepiece(又はMicroguide Eyepiece)が市販されています。
下の左は、Meadeの12mm illuminated reticle Astrometric Eyepieceです(2019年に購入)。
その構造はアイピースを覗いたとき、下の右のような暗視野照明で赤く照らされた目盛り盤が
見えます。
→中央の横線の目盛りで角距離、周囲の円の目盛で位置角を読取ります。
7.3つの測定機器の比較
これまで説明した3つを比較すると次の表のようになります。
測定の対象でメインとなるのは二重星ですが、これはワシントン重星カタログ(Washington Double Star
Catalog、WDS)に纏められています。
8. WDS(ワシントン重星カタログ)
ワシントン重星カタログ(Washington Double Star Catalog、WDS)は、ワシントンにあるアメリカ海軍
天文台(注)により管理されている二重星の天体カタログです。このカタログには、10万個以上の二重星
について、位置、等級、軌道要素などの情報が掲載されています。
(注)この天文台には火星の2つの衛星発見に使用されたことで有名なアルバン・クラーク製の26インチ
屈折望遠鏡があり、150年近く経た今日でも二重星の位置測定に使われているようです。
アメリカ海軍天文台の26インチ屈折
WDSカタログには、アマチュアの望遠鏡の届く範囲で二重星は数千あり、それらの中には1世紀以上も
測定されていないもあります。
→二重星の観測でアマチュアが専門家に対して貢献できる機会があります。
(例)アメリカの観測者Ronald Tanguay氏は3.5インチ(89mm)マクストフカセグレン望遠鏡に
CELESTRONのMICROGUIDE EYEPIECE(但し、分度器のスケールとポインターを追加(自作?))と
いう単純な機器を使用して多数の二重星の測定を行い、成果を上げています。
Sky & Telescopeの記事「Observing double stars for fun and science」にRonald Tanguay氏の観測
の様子が紹介されています。
おわりに
恒星の年周視差を発見したドイツの数学者、天文学者ベッセルは「測定」について、
Measurement is the heart of science
と、その重要性を述べました。
天体を測定することは、測定ツールがあれば容易に経験することができます(月のクレーターのサイズ、
惑星の視直径の変化、火星の極冠のサイズの変化、二重星の角距離と位置角・・など)
簡易型のAstrometoric Eyepiecesならば(海外
からになりますが)入手可能です。
デジタル化が進んだ現代、ファイラー・マイクロメーターのようなアナログ式測定器はその役目はほぼ
終えたのかもしれませんが、上記のRonald Tanguay氏のように二重星観測に貢献したり、あるいはアマ
チュア天文家の趣味として、さらに天文教育の一つとしてなど、まだ活用できる余地があると思います。
実際、海外では、高校の天文教育として二重星の測定とデータの分析を実施しているところもあります
(天文測定と統計処理の学習)。
<参考資料>
1.Bob Argyle, Observing and Measureing Visual Double Stars (2004), Springer.
2.James Mullaney, Double and Multiple Stars
and How to Observe Them (2005), Springer.
→この本の付録には、ファイラー・マイクロメーターを使用した二重星の測定方法が載っています。
はじめに
今回紹介するファイラー・マイクロメーターは、日本語では「糸線測微尺」と云い、主に、二重星の
角距離(注)や天体の視直径など微少な角度を測定する道具です。これは、メシエの時代に既に
存在し、特に、大屈折望遠鏡が全盛期だった時代にはストルーベなどの偉大な観測者が二重星の
測定に使用してきました。
(注)角距離:二重星の主星と伴星の距離を角度
で表したもの。例:白鳥座のアルビレオの
角距離=34.7秒角
近年は、二重星の角距離を測定するなどはマイナーすぎてファイラー・マイクロメーターという言葉
を知っている人は少ないのではないかと思われます。しかし、ファイラー・マイクロメーターには天体を
計測するという楽しみがあります。
1. 顕微鏡用ファイラー・マイクロメーター
ファイラー・マイクロメーターの説明がある日本語の本は、古い本ですが
小森幸正著「天体望遠鏡ハンドブック」
1965年 誠文堂新光社
くらいしかないようです。この本には、その入手について次のことが書かれています;
「天体用のファイラー・マイクロメーターはわが国では市販されていませんから、顕微鏡用のものを
利用し、簡易型のものとして使用することができますが、この場合は接眼鏡の外径は天体用接眼鏡
の外径にあわせる必要があります。」(P.163)
昭和44年の天文ガイド別冊「天体望遠鏡ガイド」を見ると、五藤光学の20cm据え付け型屈折赤道儀
のアクセサリーには「ポジションファイラーマイクロメーター」が付属していました(値段は20万円。
そもそも個人で買うようなものではないようです)。
→そこで、天体用の入手はあきらめてまず顕微鏡用のファイラー・マイクロメーターが付いたアイピース
を入手しました。
入手したファイラー・マイクロメーター・アイピースは、LOMO社製のEFM-16X Filar Micrometer
Eyepieceという物です。横に、マイクロメータのつまみがあります。上に固定されている黒いアイピース
は倍率16倍(顕微鏡用なので焦点距離ではなく倍率表現)です。
2. ファイラー・マイクロメーターの使い方
ファイラー・マイクロメーター・アイピースの視野を覗くと、図のように、数字が書いてある固定スケール
とマイクロメータと連動する細い線(L)が見えます。
この細い線をファイラー(糸線)と云います。目的の天体(例:二重星)の一方の星を固定スケールに
位置し(図のA星)、ファイラーLを移動させてもう?一方の星(図のB星)がちょうどL上に位置したときの
マイクロメータの値を読み取ります。この値に、マイクロメーターの1目盛と天空の角度との関係を示す
定数(糸線測微器定数)を掛けることにより、二重星の角距離が求められます。
3. 顕微鏡用ファイラー・マイクロメーターの改良
私が購入したLOMO社製のファイラー・マイクロメーター・アイピースは、顕微鏡用なので天体用として
使用するには望遠鏡との接続やスケールの照明という検討が必要でした。→具体的方法は省略します。
4.ファイラー・マイクロメーターによる天体の測定
■糸線測微器定数の決定
マイクロメータの目盛りと天空の角度との関係を示す定数(糸線測微器定数)を調べるために、
角距離が分かっている4つの二重星についてマイクロメータの1目盛当りの角度を求めました(下の表)。
尚、二重星の光度、角距離のデータは、Sissy Haas, Double stars for small telescopes .
Sky Publishing, Cambridge, MA, USA を使用。
→4つの平均を求めると、
1目盛りの角度=0.43秒/div
となります。
■天体の測定例
<木星の測定>
測定結果は、赤道方向=100divでした。また、南北赤道縞間=23divでした。糸線測微器定数0.43秒/div
を使って赤道方向視直径を求めると43.0秒となります。このときの木星の視直径予報は43.4秒なので
0.9%の差(アンダー)となりました。
<月のクレーターの測定>
上の図により月表面のサイズLを求めます。
ガッサンディの長径=143divでした。?地球表面から月表面までの距離は、
(383,458-6,378-1,738)=375,342km。
ここで、383,458kmは、測定日の03年3月14日の月の地心距離D(天文年鑑より)。
6,378kmは地球の半径,1,738kmは月の半径。これらからガッサンディの大きさを求めると375,342*
2*tan((PI()*143*0.43/(180*60*60))/2) =111.9km。
本でガッサンディの大きさを見ると112kmなので差は殆どありませんでした。
5.天文用のファイラー・マイクロメーター
天体用の本格的なものは、米国のVAN SLYKE ENGINEERINGで販売していました(2006年に購入)。
これは暗視野照明付きで位置角(注)も測定できて精度も非常によいものです。
下記のパーツから構成されています;
・マイクロメータ:ミツトヨ製(1/1000インチ/increments)
・暗視野照明装置:リゲルシステムのPlusGuide(black cylinder)
・25mmPlossl Eyepiece+2X Barlow Lens:メーカー名は特になし
(注)位置角:主星を中心として北から東回りに
伴星の位置を角度で示したもの。
尚、VAN SLYKE ENGINEERING社は、2013年のコロラドの山火事で設備が全焼し、ビジネス
をやめたようです。天文用のファイラーマイクロメータを作っていた会社はおそらく世界でここ
だけなので非常に残念です。
■天文用ファイラー・マイクロメーターの構成;
下のように位置角測定用のPosition Angle Circleの着いたファイラー・マイクロメーターを
「ポジション・ファイラー・マイクロメーター(位置糸線測微尺)」と言います。
6.簡易型の測定ツール
天文用のファイラー・マイクロメーターは入手困難です。それに代わる簡易型測定ツールとして、
メーカーにより名称が違いますが、
Astrometoric Eyepiece(又はMicroguide Eyepiece)が市販されています。
下の左は、Meadeの12mm illuminated reticle Astrometric Eyepieceです(2019年に購入)。
その構造はアイピースを覗いたとき、下の右のような暗視野照明で赤く照らされた目盛り盤が
見えます。
→中央の横線の目盛りで角距離、周囲の円の目盛で位置角を読取ります。
7.3つの測定機器の比較
これまで説明した3つを比較すると次の表のようになります。
測定の対象でメインとなるのは二重星ですが、これはワシントン重星カタログ(Washington Double Star
Catalog、WDS)に纏められています。
8. WDS(ワシントン重星カタログ)
ワシントン重星カタログ(Washington Double Star Catalog、WDS)は、ワシントンにあるアメリカ海軍
天文台(注)により管理されている二重星の天体カタログです。このカタログには、10万個以上の二重星
について、位置、等級、軌道要素などの情報が掲載されています。
(注)この天文台には火星の2つの衛星発見に使用されたことで有名なアルバン・クラーク製の26インチ
屈折望遠鏡があり、150年近く経た今日でも二重星の位置測定に使われているようです。
アメリカ海軍天文台の26インチ屈折
WDSカタログには、アマチュアの望遠鏡の届く範囲で二重星は数千あり、それらの中には1世紀以上も
測定されていないもあります。
→二重星の観測でアマチュアが専門家に対して貢献できる機会があります。
(例)アメリカの観測者Ronald Tanguay氏は3.5インチ(89mm)マクストフカセグレン望遠鏡に
CELESTRONのMICROGUIDE EYEPIECE(但し、分度器のスケールとポインターを追加(自作?))と
いう単純な機器を使用して多数の二重星の測定を行い、成果を上げています。
Sky & Telescopeの記事「Observing double stars for fun and science」にRonald Tanguay氏の観測
の様子が紹介されています。
おわりに
恒星の年周視差を発見したドイツの数学者、天文学者ベッセルは「測定」について、
Measurement is the heart of science
と、その重要性を述べました。
天体を測定することは、測定ツールがあれば容易に経験することができます(月のクレーターのサイズ、
惑星の視直径の変化、火星の極冠のサイズの変化、二重星の角距離と位置角・・など)
簡易型のAstrometoric Eyepiecesならば(海外
からになりますが)入手可能です。
デジタル化が進んだ現代、ファイラー・マイクロメーターのようなアナログ式測定器はその役目はほぼ
終えたのかもしれませんが、上記のRonald Tanguay氏のように二重星観測に貢献したり、あるいはアマ
チュア天文家の趣味として、さらに天文教育の一つとしてなど、まだ活用できる余地があると思います。
実際、海外では、高校の天文教育として二重星の測定とデータの分析を実施しているところもあります
(天文測定と統計処理の学習)。
<参考資料>
1.Bob Argyle, Observing and Measureing Visual Double Stars (2004), Springer.
2.James Mullaney, Double and Multiple Stars
and How to Observe Them (2005), Springer.
→この本の付録には、ファイラー・マイクロメーターを使用した二重星の測定方法が載っています。