宮森谷について

英国天文協会のジャーナル(Journal of the British Astronomical Association)に
月面の宮森谷(Miyamori Vally)について興味ある記事がありました(2008年の記事なのでそれほど古くは
ありません)。Miyamori Vally付近の観測の歴史などかなり詳しい内容です。(これによると、宮森谷は、
IAUの公認された名称ではないので公式の月面図には載っていないということです)

下記に、最初の出だしの部分のみを紹介します;
日の当たりのある条件の下で、グリマルディ、ヘベリウス、リチオリの堂々としたフォーメーションから影が取り除かれるとき、望遠鏡による月の観測者はロールマンとリチオリの間にある表面を横切る明らかに記録されていない深い谷に突然遭遇する。この地形に公式の命名はIAU(国際天文連盟)から与えられていないので、承認された月面図でその谷の位置を捜しても確実な形跡は見いだせない。しかし、年季の入った月面観測者の間ではこの地形はミヤモリ谷として知られていて、これは日本人のアマチュア天文家宮森作造(1891-1976)からつけられた’通俗的’な名前である。
 宮森氏は大阪の女子カレッジの教師でOAA(Oriental Astronomical Association)の大阪支部の活発なメンバーだった。彼は1936年4月5日の夜にグリマルディBの近くに明らかに谷を’発見した’。彼の観測は佐伯恒夫(1916-1996)によりBAAに報告された。しかし、非公式に彼の名前を持つ谷に似ている地形はそのとき初めて現れたものではない;


(参考)下の写真は、2001年10月30日に私が10cm屈折で撮影した宮森谷です;